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自然でおいしく安全な食品作り
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今年の有明海の一番摘み海苔は大変おいしい!

おいしさを表現するならば、焼海苔なのに、なんともいえない旨みがあるのです。

そして、柔らかく、ごはんと食べると、他におかずはいらない。梅干だけでいい!

そんなところでしょうか。。。

今回は、海苔の歴史について、海苔で健康推進委員会が発行したパンフレットから、抜粋させていただきます。

海苔の歴史

海苔の歴史は古い。大宝律令(701年)には、朝廷への調(現在の税金)として約30種類の海藻類があげられており、そのなかでも海苔は高級品だった。710年平安京、海藻類を売る「にぎめだな」という市場や、海苔や昆布を佃煮のように加工したものを売る「もはだな」という市場ができる。しかし、海苔が市場で売られていたとはいえ、やはり庶民には高嶺の花で上流階級である貴族のごちそうだったようだ。また、987年頃に書かれた「宇津保物語」には、甘海苔や紫海苔といった具体的な名称で海苔が登場する。
 鎌倉時代に入ると食文化は大きく変わり、これまでの朝廷の公家や貴族たちが贅を極めた食生活は改められ、質素倹約を旨をした精進料理を完成していく。
日本の伝統食材をふんだんに取り入れた精進料理でも海苔は珍重される。
 江戸時代に入って、それまで浅瀬の岩や杭に付いた海苔や流れについた海苔を採るだけだった自然採取から、「海苔養殖」が始まる。江戸の漁家は、魚が獲れ様が獲れまいが、毎日将軍家へ生きた魚を献上しなければならず、そのため浅瀬に木の枝や竹で囲った生け簀を作り、常に魚を用意した。冬になると、その生け簀に多量の海苔が生えるのに着目したのが養殖の始まりだったという。
  海苔養殖は、幕府の保護を受け江戸魚家の独占産業として栄え、江戸の特産品になった。浅草海苔の語源は諸説あるが、隅田川河口の浅草で初めに養殖されたという説が有力。江戸時代中期になると、簀で抄く四角い板海苔が登場する。さまざまな具を芯にしてごはんを巻く海苔巻きが庶民の間で大流行し、屋台ずしと呼ばれる店も登場。江戸っ子たちは、現在のファーストフード的感覚で海苔巻きを食べていたようだ。
 海苔養殖は江戸時代から始まったものの、ノリの生活史がわからなかったためタネ付け作業は勘や経験だけを頼りに行われていた。そのため生産高は不安定で、長い間海苔は相場商品として「運草」そ呼ばれていた。
 しかし昭和24年、イギリスのドリュー女史が海苔の糸状体を再発見し、それに基づいて、それまで不明だったノリの生活史が解明され、人工採苗の実用化へとつながった。人工採苗の普及は、それまでの天然採苗の不確実さをなくし、また天然タネ場が近くになかったために海苔養殖ができなかった地区も産地の仲間入りを果たした。
 戦後ゼロからスタートした海苔養殖は、さまざまな技術革新のもと年々生産量が増加している。
  
    海苔は養殖でできるようなり、多くの人々が食べれるようになったことが
  わかりますね。
 海苔を最初にみつけ、食べた人はやはりすごいと思いませんか?

     




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